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粟野氏について

仙台地域中世史研究中世豪族シリーズ粟野氏~名取郡北方三十三郷之旗頭~■仙台地域における粟野氏の足跡~その3~ 前述の通り伊達氏の家中騒動の域を超え仙台地域の小領主たる中世豪族を広く巻き込んだ天文の乱を前後とする時代においては、依然としてその独立性を留保されていた。伊達氏の完全な家臣とは言えなず、独自の家臣団を有する独立領主の体裁を維持していた。その状況は粟野遠江守長国の後継である粟野大膳亮宗国の時代...

粟野氏について

仙台地域中世史研究中世豪族シリーズ粟野氏~名取郡北方三十三郷之旗頭~■仙台地域における粟野氏の足跡~その2~ 粟野氏は寛正年間(1460年~1466年)に茂ヶ崎城から北目城へ居城を移す。以降時を経るにつれて、粟野氏の姿がより具体的なものとなる。 最大の要因は仙台地域の中世史に関する史料が多く今に伝えられていないことにある。江戸時代に入って仙台藩の修史事業で整備された史料ならばともかく、共時的・同時代的なそれ...

粟野氏について

仙台地域中世史研究中世豪族シリーズ粟野氏~名取郡北方三十三郷之旗頭~■仙台地域における粟野氏の足跡~その1~ 藤原姓粟野家譜によると粟野氏は康永2年(1343年)に名取郡茂ヶ崎城に移住したとされている。それは北朝方である足利尊氏に与し、その戦功で名取郡に2000貫を得たことに起因する。それから5代にわたり茂ヶ崎城は粟野氏の居城として機能することとなった。 粟野大膳亮忠重の時に北目城へ移ることとなる。それは寛正...

粟野氏について

仙台地域中世史研究中世豪族シリーズ粟野氏~名取郡北方三十三郷之旗頭~■粟野氏の出自伝承と仙台への移住契機 粟野氏の出自は藤原姓とされている。南北朝・室町・戦国時代における同氏の動向も一定程度現在に伝えられている(後述)。しかしこれらの多くが根本史料による裏付けは取れていないものである。文献史料による裏付けがないということは、すなわち新たに古文書が発見されない限りにおいてそれはおおよそ不可能な事柄であ...

粟野氏について 

仙台地域中世史研究中世豪族シリーズ粟野氏~名取郡北方三十三郷之旗頭~■はじめに 仙台といえば、伊達政宗。そう答える人も多い。仙台の歴史を語る上で伊達政宗の存在は欠かすことのできない。しかし伊達政宗や伊達家の動向に多く焦点があてられているせいか、それ以前の仙台地域の歴史は意外なほどに知られていない。(とは言うものの、伊達家以外の多くの政治勢力が近世に至る過程で没落したり、伊達家に麾下に入ったりしたた...
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